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笑わせる商社マン・N~第二章 包囲網~

 その男(仮にNとしておく)は、冒険心が旺盛といえばよいのか、それとも、単に何も考えていないというべきか、とにかく無鉄砲な男である。

 世の中には他人から注目されることの無い人生を歩む人がいる。
 Nもどちらかというとその種の人間である。
 NがS貿易に入ってすぐの頃、彼の上司数人が昼休みに社内打合せで使う小会議室に入ってヒソヒソ話をしているところに、たまたまNが通りかかった。
 彼らは部長の悪口を言っていたのか、噂話をしていたのか事情はよく分からないが、とにかくヒソヒソと話していたところに、新人の割には恰幅だけは部長のようなNが磨ガラスの扉を開けようとしたものだから仰天。磨ガラスだけにハッキリとは判別できなかったのだが。
「部長!」
 と、言っては全員が立ち上ってNの方に向き直った。「キミたち何をしておるんだ」とでも言われると思ったのか、全員が心持ち緊張した様子であった。
 その後、
「なんだ、Nか。あまり驚かすなよ」
 一番年下である五十幡がNに少し怒ったような口調で言った。
「昼休みは、飯を食ったら新聞でも読んでろ」
 何のことかよく分からなかったNではあったが、少なくとも部長に間違えられ上司諸氏に注目されたことに大いに感激し、小走りで自分の席の近くに戻り、割と歳の近い先輩数人に、
「先輩っ、私、部長に間違えられたんです」
 と、自慢げに報告した。
 当然のことながら、先輩諸氏はNを馬鹿にするように言い放った。
「あの部長に間違えられて何が嬉しいんだ・・・」
 Nが注目されるときはいつも怒られるときであった。
 ちなみに、その部長、陰では「ム~ミンパパ」とか「ハナ肇」と呼ばれていたのである。その後、Nには「ム~ミンパパ」のジュニアということで「ム~ミン」とあだ名が付いたことは言うまでもない。


 しかしながら、不思議なことにNを注目している集団がこの世にあるということが最近判明した。
 Nはいつも遅くまで残業している。これは別に仕事を他の人以上に与えられている訳でもなんでもない。単に労働速度の問題である。
 あまり遅くなると電車もなくなり、タクシーで帰ることになる。
 ある時、Nは数ヶ月もの間毎日タクシーで帰宅するという事態になってしまった。よくもそれだけ仕事を溜め込んだものである。
 Nは帰る際に会社の近くにあるシャイナラ・タクシーを呼ぶことにしていた。シャイナラ・タクシーは会社の近くにある為、呼べば比較的早く来てくれるのであった。また、無線配車システムがあるので、たまたま近くに車がいればすぐに会社の前まで移動してきてくれる。
 折しもバブル経済は崩壊に向かっており、タクシー業界にも不況が忍び寄ってきた頃である。各タクシー会社、各ドライバーが一人でも多く客を乗せ回転を増やそうとしていた。
 夜遅く雑居ビルの一階にあるS貿易の電気が点いていると、Nを求めて何人かのドライバーが続々とビルの周りに集まってくるようになった。時には十何台がグルグルとビルの周りを回っていることもあった。


「S貿易のNですが、タクシーを一台お願いします」
 残業疲れのNがシャイナラ・タクシーに電話をする。
「いつもお世話になっております。いつもの所ですね」
 無線配車受付のおじさんもすっかりわきまえている。
「はい、よろしくお願いいたします」
 Nは受話器を置き帰り支度を始める。
 そして配車のおじさんも受話器を置き、呼出し用のマイクを取る。
「北浜周辺でS貿易。S貿易のN様」
 雑居ビルを周回していた各ドライバーは一斉に社内無線マイクを取り上げる。
 最も早く取り上げたドライバーが、
「368番、向かいます」
 と、大声を張り上げる。
「368番、お願いします」
 配車のおじさんが受話器を置く。
「やったぜ」
 ビルの横にいた368番のドライバーが玄関先に向かって動きを速める。
 他のタクシーが少し肩を落としたようにゆっくりとビルから離れていく。


 そして翌日も同じ光景が繰り広げられるのである・・・。


この物語はフィクションであり、登場人物は一切実在の人物とは関係ありません






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