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笑わせる商社マン・N~第六章 往路の無い旅~

 その男(仮にNとしておく)は、冒険心が旺盛といえばよいのか、それとも、単に何も考えていないというべきか、とにかく無鉄砲な男である。

 1993年9月24日、金曜日の午後を最近普及してきたフレックスタイムで早々と退社したNと共に筆者は地下鉄御堂筋線の淀屋橋から新大阪へ向かおうとしていた。

 結局、先の予定など全く無い男Nと筆者は09月25日、26日のダイエー対近鉄の二連戦を前に一日早く広島入りすることにした(第五章参照)。スケジュールを確認すると、9月24日には広島球場にて広島対巨人の最終戦が行われることになっていたのだ。
 既に記したとおり、Nはセ・パ12球団全チームのほとんどのバッターのヒッティングマーチが歌える。野球ファンの方ならご承知だと思うが、広島の応援は、まるで某国の得意なマスゲームのようにスタンド全体を揺るがすような応援である。Nはこの応援を大変気に入っており、是非とも本拠地広島で見たいとかつてから言っていたのであった。福岡への途上に広島が位置することが幸いし、今回晴れて広島球場に乗り込むことが可能となったのである。
 我々はこの遠征にS商事のH少年にも御同行いただくことにした。H少年は、Nとは違って金曜日の午後といえども仕事が忙しいらしく、土曜日の朝に広島駅で落ち合うことになった。もっとも、NもHも筆者が見る限りたいした仕事はしていないのだが。
 出発数日前に我々はJTBに行き往復の「のぞみ」のチケットを購入した。これを各々が持ち、出発に備えることになった。また、たまたま福岡で世界医学学会が開かれるのと同じ時期だったこともあり福岡のホテルは全く取れない状況となっていたため、ホテルの予約は福岡に本社がある旅行代理店の笠間氏の御好意で取っていただいた。笠間氏は金曜日の午後3時までにクーポンをNに届けることになっていた。

 淀屋橋の駅で、筆者は何故だか分からないが、一瞬不安な気がしてチケットを持っているかどうか確認しようとした。そして、Nもチケットを確認しようとした瞬間、素っ頓狂な声を上げた。
「あれっー、このチケット両方とも『帰り』って書いてある。これでいいのかな?」
 勿論良いわけはない。
「Nさん、それでは行けませんよ」
「やっぱりそうだよね~」
 Nはガックリと肩を落としていた。
「Nさん、そうガッカリしないで・・・。とりあえずJTBに行って取り替えてもらいましょう」
「うーむ、つまり、H少年は『行き』、『行き』を持っているということか。それなら、JTBも我々同士で交換すれば良いのでは、って言うに決まってるよ」
 Nにしては、異常なくらい冷静な判断であった。
 我々はH少年の事務所に電話することにした。しかし、少年の上司が無愛想に、「今日は外出したまま帰ってこない」と言うのみであった。携帯電話などまだ世に出ていないので、連絡のつけようがない。
 我々はとりあえずJTBに向かい、素直に事態を話すと、丁寧にしかも愛想よく対応してくれた。その結果、Nは『行き』と『帰り』を手にすることができ、H少年の『帰り』も手にすることができた。

 我々は再度新大阪駅に向かい、ギリギリで「のぞみ」に間に合った。ビールで乾杯した後、Nはグーグーと眠り始めたが、広島駅の近付くアナウンスを聞いたあたりで突然目を覚まし、車内中のお客さんが振り返るほどの大声を出した。
「笠間さんっ!!」
 そうだった、クーポンを貰ってから出発するという事を忘れていたのだ。


【後日談】
 結局、その日の夜我々はH少年にようやく連絡を付けることができ、Hが持っているのは『行き』『行き』であるが、心配せずに広島に来いということを伝えることができた。このときHが持っていたのが『帰り』、『帰り』であれば、間違いなく彼は新大阪駅で足止めを喰らったであろう・・・。
 数年後、Nと沖縄に行くことにもなるのだが、その際にNが関西空港のチケットカウンターで、貰ったチケットが『行き』と『帰り』であることを何度も、しっかりと、念入りに、かつ真剣に確認していた光景が忘れられない・・・。


この物語はフィクションであり、登場人物は一切実在の人物とは関係ありません






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