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キエフの中華料理店とイタリア料理店

 このワタクシが、ウクライナに足繁く通っていたのは、チェルノブイリ事故からまだそんなに時間の経っていないときであった。
 ソ連そのものの崩壊は決定的であり、東側諸国が資本化する前夜という時期である。

 このワタクシの訪れる所は、国を問わず農村地帯ばかりであったので、ウクライナの首都キエフといえども、たまに上京(上「キ」)すると大都会と思ったものである。
 当時のキエフには、まともな日本人が食べたいと思う非ソ連系レストランは「天津」という名の中華料理店しかなかった。
 さすがは中華料理店である。このワタクシが行った様々な開発途上国で、中華料理店はこのワタクシの胃袋を満たしてくれた。
 こんなところになぜ中国人が、、、というようなところにまで中華料理店はあるのである。
 当時中国語学校に通っていたこのワタクシは、他の日本人がいないような異国でまったく言葉が通じない状況でも、たまに話す中国語のおかげでホームシックから免れていたようなもんである。
 いずれにしても、「天津」しかないキエフでは、自ずと三食全てが中華料理となった。

 そんな生活を続けていると、あるとき、イタリア料理店ができた、との情報を入手した。中華料理が悪いわけではないが、一週間に21食も食べる料理ではない。
 そこで早速そのイタリア料理店「ナポリ」に顔を出した。
 意外にも、あのソ連において、西側の雰囲気を出した店の作りであり、味まで非の打ちどころがなかった。「ナポリ」といえば、ナポリタン、といつもナポリタンを食べていたものである。これで、週に10~11食がイタリア料理、残りの10食程度が中華料理になった。
 それが、あるときから再び21食同じ料理となった。今度はイタリア料理である。
 「ナポリ」に、イリーナという絶世の美女のウエイトレスがいたのである。
 イリーナの気を引くために、毎日通っては、お腹一杯なのに追加注文をしたりしていたのである。このときほど、ロシア語が話せればよかったのに、、、と思ったことはない。
 そうこうしているうちにソ連が崩壊し、ウクライナにおいても資本主義経済の波がやってきた。
 位置的にも西側に最も近く、ソ連随一の穀倉地帯であったウクライナには西側の企業が続々とやってきた。
 気が付いたときには、イリーナの姿は「ナポリ」から消えていた。彼女も資本主義の波に飲まれてしまったのだろうか。

 いまだにナポリタンを食べると、イリーナの当時の美貌を思い出してしまう。
 このワタクシが巨大化し始めたのは、あの頃からである。。。
 あの頃以来ウクライナには15年以上訪れていない。今のキエフはどうなっているのだろう。変に資本化した東側諸国は見たくないというのはこのワタクシの単なるエゴかもしれないが、あの頃のウクライナ、そしてソ連を愛してやまないのである。(イデオロギーではなく雰囲気を)

追記)
 ロシアのフィギュアスケーター、イリーナ・スルツカヤを見るたびに、イリーナもあんなおばさんになってしまっているのかと想像してしまう。(もちろんスルツカヤも美女ですが。。。)  






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コメント (2)

miha:

キエフ。
こんなネタまで、カブっていたとは。驚きです。
っていうか、なんで、キエフ????????

しかも、私の記事の中の女性の名はイリーナです。

まあ、ロシア人の名前は数限られてますけど、
タチアナだって、ナタリアだって、アンナだって、
いろいろあるわけだし…。

今度、ロシア珍道中の記事書いたら(いつになるやら)、TBします。
ともあれ、このころから巨大化ですか。

 すいません。。。
 巨大化したのはもう少し前でした。。。

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