スポーツの審判
プロ野球などを見ていると、時々「今の判定はありえない。。。」と憤慨することが多い。
もちろん、文句を言っているこのワタクシは、スタンドで見ているときはかなり遠くのプレーに対して文句を言っているだけだし、テレビで見ているときはリプレーを見ているだけなので、本当に間近で見ている審判に文句を言うのはお門違いである。
おまけに、文句を言いたくなるのは、贔屓のチームに不利な判定のときだけで、有利なときは「審判、よくやった」と褒めたくなったりするくらいだからこのワタクシも現金なものである。
いずれにしても、審判に文句をいくら言ったところで大抵の場合判定は覆らないし、審判になるために努力をされた人々の判定がおかしいケースの方が少ないのだろう。たまに間違っていても人間だから仕方がないといえば仕方がない。
このワタクシは、中学生の頃バレーボール部に所属していた。
今では垂直飛びを4~5センチくらいしかできないこのワタクシとしては考えられない話だが、当時は2メートル数十センチのバレーボールのネットからちゃんと手が出ていた。
このワタクシの所属していた中学校のバレーボール部は市内でも指折りの弱小チームであった。
一方、女子の方は近畿大会レベルには簡単に進出していたので、相当強かった。
だから、同じ中学校内で男女で試合をしても、我々男子がボロボロに負けてしまうのである。悲しいかな、女子は相手を求めて他校の男子と試合をしていたくらいだから、我々の弱さ(と女子の強さ)は校内でも有名であった。
このワタクシが2年生のときの市の中学校大会での話である。
何試合かやって全敗の我々は、他の試合の審判をやらされていた。
主審はそれなりの大人がやるのだが、線審は負けた学校の部員がやるものと決まっていたようだ。
弱小チームの我々は審判を得意中の得意としていた。あまり自慢することではないが。
このワタクシは別の男と二人で決勝の線審を務めることになった。
さすが決勝というかなんというか、この試合がトンでもない試合になった。
当時のバレーボールはラリーポイント制ではなかったので、サーブ権を取らない限り点が入らない。
この決勝戦、とにかくサーブ権が入れ替わるだけでなかなか点が入らない。
第1セットは、15-13。
第2セットは、16-18。
とにかく一進一退を続けるのである。
最終セットでも得点はなかなか入らない。。。
スコアは14-13になった。
そこで事件は起こった。
負けている方がサーブ権持っていて、そのチームがアタックしたボールが、このワタクシが監視しているライン際に打ち込まれたのである。
かなり際どいところにボールは落ちたが、このワタクシの冷静な(?)判断でコートの外でボールがバウンドしたことを確認できた。
このワタクシの判定どおりであれば、勝っている方がサーブ権を取り戻しマッチポイントの状態となり、負けている方にとっては絶体絶命である。
「判定どおりであれば」とは書いたものの、判定するのはこのワタクシなのでこのワタクシの言うとおりにやってもらわないといけない。
しかし、ここで、負けている方が主審にクレームを付け始めた。「絶対にコート内にボールは落ちた」と言うのである。
主審の大人はこのワタクシを呼んだ。
「本当に外に落ちたのか?」と聞くので「そうです」と答えた。
すると、主審は「自分にはコートの中に落ちたように見えたが」と言うのである。
頭にきたので「外に落ちたことは間違いありません」と言い返した。
暫く中断した後、結果的に、マッチポイントにはならずにジュースとして試合は再開された。つまり、このワタクシの判定が間違っているという判断が下されたのである。
この重大な判定変更により負けている方が逆転して優勝してしまった。
もちろん、判定が変わらなかったとしてもその後の展開がどうなったかは分からない。
あのとき、本当にボールが外に落ちたのか中に落ちたのかは多分誰も分からないだろう。多分、プロレベルのスポーツでも抗議が起こるときというのは誰にも分からないときがほとんどだろう。ビデオで見たところで角度が変わればどちらにも取れてしまうケースがほとんどだ。
そして、そういう微妙なときにしか抗議は起こらない。
つまり、答が分からない事象を永遠に議論するという事態は免れない。
審判が真面目にやっているという前提であれば、抗議自体を禁止すべきであると切に思うところである。
とはいえ、頭にくることが多いのは確かだが。。。
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