天国で君に逢えたら、、、
このワタクシ、極度に涙腺が弱いので基本的に映画やテレビのドラマは見ないことにしている。
喜怒哀楽のどれであっても、感動した瞬間に涙がウルウルとなってしまうのである。当然ながら、「哀」のときの涙の量はすごいものがある。
もしこのワタクシが映画ファンなら、あれだけ飛行機に乗りまくっているだけに、相当有意義なエアライフを満喫できそうな気もするが、映画なんて見てしまったら客室乗務員に不思議がられるくらいいつも泣いていることになるだろう。。。
そのワタクシがひょんなことから公開中の『Life 天国で君に逢えたら』を見てしまった。
間違いなく向こう1年分の涙は流したと思う。月曜の夜の郊外の映画館で、お客さんがほとんどいなかったのが幸いであった。
というようにいつでも泣いているこのワタクシではあるが、さすがに泣くのは映画の盛り上がってきた場面とかエンディングである。
と、と、ところが、この『Life 天国で君に逢えたら』では、なんと開演後1分で最初の涙が頬を伝ってしまった。
そして、なんともはや、その涙は最後まで止まらないのである。
映画が終わり、テーマ曲である桑田圭祐の「風の詩を聴かせて」が流れ始めて涙がようやく止まったしだいである。
そういう意味ではこの映画は普通の映画とはまったく違った印象であった。
普通は、ラストに大量の涙を流し、出演者の名前が出てくるところでも涙は流れ続けるものなのだが。
(話は大きく変わるが)このワタクシが独身を続け、女性を(生涯のパートナーとして)心底信頼できないのは、思春期から20歳前後までに個人的に起こった幾つかの事件が大きく影響している(はずである)。少なくとも、自分は他人を信頼できても、自分のことを信頼する人間はいないと思っている。
この『Life 天国で君に逢えたら』のモデルとなった飯島夏樹さんは、なんとこのワタクシと同じ学年の丙午世代である。そして、奥さんの寛子さんは1歳年下である。
彼らは、20歳を少し過ぎた頃に、電撃的に出会い、お互いに一目惚れして、電撃的に結婚している。
今日までのこのワタクシなら、そんなヤツおらんやろ~、とどこかの芸人みたいに遠吠えし、映画の中の世界のことだから、、、と思っていたことだろう。
しかし、この話は現実の話だけに、そうとも言っておれない。本当に信じあい、愛し合った男女と献身的な妻がいるわけである。
同じ頃、このワタクシは何をしていたのだろう?
また、映画というのは必ず終わりがあるのだが、いつも「その後」が気になって仕方がない。
つまり、愛している女性を飛行機に無理やり乗せて逃がせてやったボギーのその後のモロッコでの生活はどうなったのだ?(『カサブランカ』の場合)なんて考えてしまうのである。
それはこのワタクシの現実の人生でも同じで、たとえば、ある女性を口説いたとして、口説き落としても、ふられても、その後のシナリオが自分の中にないのである。
この点に関しても、この『Life 天国で君に逢えたら』の場合、残された人の人生はまだ現実に続いている。
この映画を見て初めて、人生のシナリオは前もって書けない、という当たり前のことに改めて気付かされた気がする。
それにしても、同じ40年という時間の中で、夏樹さんや寛子さんが生きた時間とこのワタクシの生きた時間は同じ長さのような気がしない。
よく「時間は平等だ」というが、この映画を見た後では、「時間は確かに平等だが、時間の濃さはその人の生き方によって異なる」という点に強く気付かされた。
とはいえ、今から濃厚な時間を得るための生き方なんてできないし、それ以前に、電撃的に一目惚れする女性も現れないだろう。
結局、40年後も(生きていたら)同じことを言っているような気がする。
現世で君に逢いたい。
(追記)
それにしても、本当に涙の止まらない感動した映画でした。
公式サイト → http://music.jp/life/
飯島夏樹さんブログ → http://natsuki.air-nifty.com/natsuki/










