18年周期
1984年に、ジョージ・オーウェルの「1984」という本が話題になった。
この本はもっと昔の1948年に「1984」年の事を書いていて(出版されたのは1949年)、本の中では、第三次世界大戦後の「1984」年には、世界は(ソ連のような)全体主義国家によって分割統治されて、思想・言語・結婚などのあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は常に欠乏し、市民は「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されているとされていた。
1948年といえば、東西冷戦に突入していく時期で、この本は、当時の反全体主義の象徴的な本だったらしい。
そして、実際の1984年に世界の半分は「1984」のようになっていた。。。
個人的には、「1984」年は、真に多感であった(はずの)高校3年生。
自分の生きている世界はまだまだ、地理的にも精神的にも狭いし、今から思えばかなりくだらない事で盛り上がったり、些細なことで感情を露わにしていた頃である。その年代の人間というのは、地域、時代を問わず、たいていそういうものなのだろう。
今思うと、「1984」年の終わりとともに、自分の人生の第一幕が降りたような気がする。
1985年になると大学に進学し、故郷から500キロ以上も離れた土地で暮らすことになった。
つまり、「1984年以前」は「自分の行動を他人が決めていた」時期で、「1985年以降」は「自分の行動を自分が決める」時期に突入したようなイメージである。
人間誰にでも起こるその変化のタイミングが、このワタクシの場合、たまたまジョージ・オーウェルの著書と同じ年になったので、「1984」という本はよく覚えている。
なぜこんな話になったかというと、、、
週末に、パソコンの中に大量に保管されているデジカメ写真を整理しようと思って、バラバラにファイルされているものを一枚一枚ファイリングしたのである。
その時々のデジカメやカメラ付携帯の仕様が違うし、ある機種と縁を切ったときに、ディスクなどからパソコンの「写真ファイル」にただ移し続けてきただけなので、順番やフォーマットがまったくもって滅茶苦茶である。よくパソコンが変わるたびに、無くすこともなくちゃんとファイルを移し続けてきたものである。
まずは、その数千枚の写真を一枚一枚開いては、年別に分けることにした。
写真の整理は思ったよりも時間が掛かるものである。
振り分けるだけならほんの数秒の話なのだが、ある写真を久しぶりに見ると、手の作業とは裏腹に、脳の中ではその時の思い出がフラッシュバックのように蘇り、その過去の時間に浸ってしまうのである。結果的に、手の作業も滞ってしまいがちになる。
とにもかくにも、土曜日と日曜日のほぼ丸々の時間を使って、年別に写真を分け、さらに可能な限り、その下のカテゴリー(「会社関係」とか「野球観戦」とか「四国旅行」とか)に分けた。
時々削除してしまいたいような写真もあるが、不思議なもので、その頃付き合いにくかった人の写真などを発見しても、そのときほどの嫌悪感はなく、逆にとりあえず取っておこうとなってしまう。人間、年を取れば変るものである。
で、ファイリングしたそれらの写真をiPhoneに同期した。
終了後、ベッドに横になりながら、アルバムと化したiPhoneで一枚一枚見ていると、再び思い出が蘇ってくるのであった。
ファイルするときは何も考えていなかったのだが、ファイルされたものを見直してみると妙なことに気付いた。
どういうわけか、2002年の写真が一枚もないのである。
365日間に一枚も写真を撮らなかったということは考えられないし、2002年といえば日韓ワールドカップを観戦したり、阪神に星野監督が着任して珍しく順位を上げた年でいつも以上に阪神戦の観戦にも行っていたはずである。よって、自分の写真はなくても観戦したときの選手の写真とかがあっても良いものなのだが。
他にも気付いたのは、2001年までの写真はデジカメで撮っているにもかかわらず、2003年以降はカメラ付携帯で撮ったものばかりが残っている。
つまり、全く写真のない2002年を境に、撮影機器が大きく変わっているのである。たぶん、その頃がカメラ付携帯が普及した時期か、もしくは普及し始めたカメラ付携帯の性能が上がった時だったのかもしれない。
世の中には、先にデジカメなるものが出てきて、このワタクシも早速買ってはいたのだが、元々写真を撮ることにそんなには興味を持っていなかったので、宝の持ち腐れ状態であったことは否めない。
それでも年間何百枚もの写真が残っているので、2002年だけ写真がないということがまったく理解できない。単にその時期だけは何らかの理由で保存をし損ねたのかもしれない。
プロ野球やサッカーではなく、個人的に2002年に何をしていたのかを思い出してみてもどういうわけか(いや写真が残っていないからかもしれないが)特に何も思い出さない。
しばらく考えていると、ある事実を思い出した。
そう、2002年の1月にこのワタクシは、フランスで開催されていたある国際会議に出席していた。
その時、会場の前の石畳で足を引っ掛け、転倒するのを支えようと咄嗟に利き腕を地面についたところ、中指を激しく突き指したのであった。
何時間経ってもあまりに痛いので、夜になって念のために市内の救急病院に行ってみた。このときほどフランス語が話せることを感謝したことはない。(って、自分にだが。。。)
レントゲンを撮ってもらうと、骨に異常はなくやはり突き指だということで、湿布をもらって病院を後にした。
約1週間後日本に帰っても痛いので、念のために病院に行くと、フランスとは違う角度でレントゲンが撮られた。
撮影された写真を見ると、素人目に見ても折れていた。。。
医者曰く、「骨折はすぐに処置すべきで、放っておくと勝手に骨がくっ付こうとするので、場合によっては変なくっ付き方をするかも知れません。。。」とのこと。
「なんとかしてください」と懇願すると、「今からでは放っておくしかありません」と言われ、またまた湿布を貰うだけであった。
仕方なく自分で薬局に行って、気休め程度に指を固定できるものを買って、指に巻きつけておいた。
なんと、その痛みは、春になっても、夏になっても、和らぐことはなく、ようやく指がくっ付いても、曲げようとすると「カックン」と引っ掛かりながら曲がるという有様である。
結果的に、完全に指が使えるようになるまで、約1年が掛かってしまった。
多分、これが写真を撮れなかった理由であろう。
(本件の詳細は、「パリの路上から犬の糞が消えた!」参照)
ということを思い出しながら、別のことも思い出してしまった。
あの1984年にも骨折していたのである。
それも受験の直前に、体育のバスケットボールの授業で、利き手の薬指を骨折したのである。
この瞬間、筆算などができなくなり、あえなく数学が試験科目にある大学を断念したくらいである。(もっとも、骨折していなくても断念しただろうが。。。)
骨折した「1984」年の翌年の1985年から第二幕に入ったこのワタクシの人生だが、不思議なことに同じく骨折した「2002」年の翌年の2003年からも大きく人生が変わったのである。
年齢的にもある程度社会的な立ち回りを要求されるようになったのか、「自分の行動を自分が決める」時期は、「他人への影響を考えて自分の行動を決める」時期になってしまった。
あの骨折から始まったこのワタクシの人生の第三幕は、今のところロクなことがない。
もっとも、自由を謳歌できた第二幕が懐かしい今日この頃である。
なお、余談ではあるが、このワタクシ、0歳のときにも利き手の小指を骨折している。
記憶にはないが、傷跡だけは指に残っている。
18年周期で小指から順番に折れている利き手だが、第四幕の始まる54歳のときに人差し指が折れてしまうのだろうか。
そして、親指が折れる72歳から始まる第五幕までは生きていないだろう。。。
人生も後半戦だ。
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「ポッキリ」










